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小豆島の妖怪カボソ

小豆島には数多くの妖怪話があります。「小豆洗い」のように、よく知られた妖怪から「カボソ」や「ゴセンボ」といった、小豆島特有の妖怪まで、山や海、田畑や町中まで島の各地に妖怪に関する話が残っています。なかでも、人の声を真似たり、化けたりする「カボソ」の話は数多く残っており、妖怪美術館の館長・柳生忠平が長年描いてきた題材でもあります。今回あらためて「カボソ」とは、どんな妖怪なのか忠平さんに聞いてみました。

「妖怪の話は知らんけど、カボソの話なら知っとるで」

ー「カボソ」とは、どんな妖怪ですか?

「カボソ」は、妖怪の名前ではなく単純にカワウソのことです。「カボソ」とか「カブソ」と言う人もいます。カワウソを「カボソ」と言うのは、小豆島を含め日本全国で何ヵ所かあるようです。小豆島の方言かどうかは分かりませんが、小豆島は昔から交通のかなめで、東西の方言が混ざり合っていますからね。

僕は、小豆島の各所で妖怪の話をきいていますが「妖怪の話は知らんけど、カボソの話なら知っとるで」と話す人が多いんです。「カボソ」を妖怪とは認識していないのです。狸を妖怪と認識していないのと同じで、化かすことのある生き物という認識。「妖怪」は、鬼のような怖いものといったイメージで、カワウソは実在する生き物だから妖怪とは思っていないのでしょうね。小豆島では子どもたちに「早く寝ないとカボソがくるよ」とか、「早く帰らないとカボソにさらわれるよ」と言われていたようです。

それから、恐ろしいもの全般を「カボソ」と言うこともあって、一概にカワウソだけを指すわけでは無いようです。かつて、怖いもの全般を「オニ」と呼んでいた時代がありましたが、それと同じですね。

ー小豆島にもカワウソが生息していたのでしょうか?

子どもの頃カワウソが海に飛び込んでいるのを見たと、現在90歳以上の人から聞いたことがあります。基本的には川辺に生息しているのだと思いますが、海でも見かけたようです。おそらく、古い時代には蛙子池(かえるごいけ)や、殿川(とのがわ)にも生息していたでしょうし、棚田のある中山の方も、今よりもっと水が多くて普通に住んでいたのではないかと思います。香川県は晴天が多く、昔から水不足になりやすかったので、だんだん海の方に来たのかもしれません。いずれにせよ、島に来るには海を泳がないと来れないでしょうしね。

ー「カボソ」はどんな姿をしているのですか?

「カワウソ」の妖怪としては、江戸時代に妖怪を多く描いたことで知られる画家で浮世絵師の鳥山石燕も描いていますし、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』では鬼太郎の古い親友という設定で登場します。他にもカワウソを妖怪として描いている人はいるけれど「カボソ」という言い方では、描かれていないように思います。小豆島の「カボソ」は絵として残っているものはないので、資料をもとにカボソの性格を考えながら僕が長年かけて描いています。例えば、これは「カボソ」が人間のお爺さんに化ける途中の様子で、怖い顔をしています。

人間のお爺さんに化ける途中のカボソ(柳生忠平)

この絵をもとに立体化した作品もあります。僕の描いたカボソの絵を妖怪造形大賞の審査員でもあり、USJの展示物なども手がける造形師の米田 武志さんに造形作品にしていただきました。現在、妖怪美術館の01号館に展示しています。それから最近、美術館の受付に描いた壁画には、人に化ける前の「カボソ」も描いています。

カボソ(妖怪美術館01号館)
窓の上からカボソがのぞき込んでいる(妖怪美術館 受付)
化ける前のカボソ(柳生忠平)


「カボソ」を祀っていた祠がある

ー「カボソ」の特徴は?

小豆島に伝わる「カボソ」には色々な性格があるのですが、基本的には人に化けるというのが多いですね。例えば海辺の神浦(こうのうら)の人に聞いた話だと漁師や舟に化けて、魚を横取りするといった悪知恵がはたらく話が伝わっています。

中山の棚田の方では、水源に子どもたちが近づかないように「カボソが出る」と言いきかせたり、人に化けるのが得意なお調子者として伝わる話もあります。「どんどろびー」という葉っぱ(何の葉かは分かっていない)や、海藻を頭にのせて化けるそうです。おじいさんと子どもがカボソに出会って、化ける様子を見て「上手い上手い」と褒めてあげると調子にのり色々なものに化けるという話があります。狸と一緒ですね。小豆島は狸も多いけどカワウソも多かったのでしょうね。

僕は実際には、水族館でコツメカワウソしか見たことがないですが、鳴き声が赤ん坊が泣いているような声で、手に物を持つ動きが人のようだなと思いました。物を持つ四つ足の動物はあまりいないので、その様子を遠くから見ると人間に見えたのかもしれません。猫でも狸でも、人間と同じような仕草をしたり、賢い動物が妖怪や化け物にされますからね。

ー忠平さんは何故「カボソ」を描くようになったのですか?

僕は子どもの頃から妖怪が大好きだったけど、あまり妖怪のことばかり話していると大人たちが心配するので、子どもの頃は言わないようにしていました。大人になって妖怪を描くようにになり、ある本を読んでいると日本に唯一と言ってもいい「妖怪カボソを祀った祠が小豆島の柳(やなぎ)というところにある」と書いてあったんです。僕は柳という地区で生まれ育ったので、びっくりしました。近所の漁師の方に聞いてみたら、みんな知らない。誰も知らないのかと、自分の父に聞いたら「あそこの家の前にあったやん」と覚えていたのです。その場所へ行って見ると、もう無くなっていました。

近所の人に尋ねてみると、おばあさんが三角形の石を「カボソさん」といって祀っていたことを話してくれました。それを聞いて、ようやく僕も子どもの頃に祠のようなものを見たことがあると思い出しました。子どもの頃の記憶なので大袈裟かもしれないけど、大きな石にくぼんだ部分があって、近所の人がお供物をしたり、お花をあげて綺麗にしているイメージがありました。

忠平さんが子どもの頃に見たカボソを祀った祠(子どもの頃の記憶によるもの)

祠を祀っていた家の人に詳しく話を聞いたのですが、一人暮らしのおばあさんが三角形の石を「カボソさん」といって祀っていたのを、ちゃんと祠にしてあげようということで御影石みたいな花崗岩の綺麗な石に「獺神社」(かわうそじんじゃ)と彫って祀ったそうです。その後、個人で管理していくのも難しいので供養して祠を撤去したそうです。小豆島の妖怪話について紹介したNHK「新日本風土記」に出演した時もそこを訪れて、小豆郡民俗研究会の元会長の川井和朗先生に写真を見せてもらったり、話を聞いたりしました。

ー祠があった辺りにはどんな話が残っているのですか?

この祠のことを知ってから、近所のおばあさんに「カボソ」についてきいてみたら「カボソはよう呼ぶで」と言っていました。自分の身内や友達の声を真似て玄関先から呼ぶ声がきこえて、行ってみると誰もいない。そういった現象を「カボソに呼ばれた」というようです。他にも、近所のお年寄りが集まっている時に、カボソの話をきいてみると「おうワシも、こないだ呼ばれたで」と、みんな口々に言っていました。大昔の話ではないですよ、10年ほど前の話です。

かわいらしいカボソも描いています(柳生忠平)

日本最古の書物「古事記」に登場する小豆島。歴史があり、豊かな自然がおりなす光と闇、路地が不規則に走り物陰になにか潜んでいそうな「迷路のまち」。東西文化の流入の位置にある島だからこそ寓話や説話もいたる所にあるのでしょう。そして今も、小豆島で生まれた妖怪画家・柳生忠平が、妖怪を描き続けています。暮らしの中に当たり前のように妖怪がいたと話す人々がいる小豆島には、きっと今もカボソが潜んでいるのでしょう。

NHKアーカイブスの動画では、忠平さんがカボソの聞き取りをした様子も見れますので、ぜひ、そちらもご覧ください。↓

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